「ホラショパの戯言」

■今日は何の日
●織部の日(岐阜県土岐市),●ビスケットの日(全国ビスケット協会)

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■おんがく日めくり
アメリカの作曲家、ジョン・オールディン・カーペンター誕生(1876〜1951)
乳母車から眺めた、古き良きアメリカ

 20世紀初めのアメリカでは、専門の音楽家ではなく、本職は会社員という日曜作曲家が優れた作品を書くことが多かったようです。最も有名なのはチャールズ・アイヴズですが、今日ご紹介するジョン・オールデン・カーペンターもその一人でした。

 1897年にハーヴァード大学を卒業後、父がシカゴに設立した「ジョージ・B・カーペンター商会」に入社して商社マンとして活躍する傍ら、エルガーに習うなどして作曲の腕を磨きます。1909年に副社長に昇格すると、多忙な中にも自分の時間を取れるようになったためか、作曲に精を出すようになります。

 その彼の名を一挙に高めたのが、代表作とされる組曲「乳母車の冒険」(1914)です。これは、乳母車に乗った赤ん坊の視点から世界を描くユニークなもので、マンガのように分かりやすく、愉快な作品です。乳母に車を押してもらいながら外に出た「僕」は、偉ぶった「お巡りさん」や、「手回しオルガン」や、「湖」や、「犬」といった様々な現象に遭遇し、この世界は何と驚異に満ちているのだろうと満足しながら眠りにおちていきます。アメリカ音楽独特の陽気な響きが聴かれ、第3曲「手回しオルガン」ではアーヴィング・バーリンのヒット作「アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド」が引用されたり、第5曲「犬たち」では民謡がフーガで展開されたりとサービス満点ですが、全体にはフランス印象主義の香りも漂い、それがカーペンターが住んだ20世紀初頭のシカゴの高級住宅街を彷彿とさせます。こんな優雅な幼児時代なら、私たちももう一度体験してみたいものですね。

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今日 2/28 2/29 が誕生日、没日の作曲家

 カーペンター ジョン・オールデン 1876.02.28生
 ルスト フリードリヒ・ヴィルヘルム 1796.02.28没
 フォーゲル              1896.02.29生
 ロッシーニ ジョアッキーノ       1792.02.29生

、【文化部発】管楽器の音って「声」なんだ…奥田章三さんを偲ぶ
□指揮者ネゼセガン、ロッテルダム・フィルと公演
■楽団への2億円支援見送り 大阪の信用組合「多すぎた」
あ【話の肖像画】冬の女王20年(中)シンガー・ソングライター 広瀬香美
ア【話の肖像画】冬の女王20年(下)シンガー・ソングライター 広瀬香美
ΒJ道愆者デプリーストさん死去 東京都交響楽団でも指揮
Б坂本龍一さんに「日本賞」 米加大バークリー校
│eの音色、沼津へ 16日に流木バイオリン演奏会
■米指揮者のJ・デプリースト氏死去
■【私のおしゃれ学】バイオリニスト 奥村愛さん 音楽はいつも美しく、希望に満ち

、【文化部発】管楽器の音って「声」なんだ…奥田章三さんを偲ぶ
 ジャズトランペッターの奥田章三さんが1月8日に亡くなった。享年64。

 音楽業界のことなどまったく知らなかった30代の私に、どんなことでも丁寧に教えてくれた。私の音楽に関するわずかな知識の礎は、奥田さんの薫陶によって築かれた。その後の勉強不足は、私の責任だ。でもたぶん、いまだに私がどんなにダメな記者かを知っても、奥田さんはニコニコ笑っているはずだ。いつものように。

 1996年、ニューヨークでのレコーディングに同行したときの話だ。ずっと日本で活動していた奥田さんは「オレの音楽はニューヨークの連中と会話できるかなぁ。ワクワクする」と話していた。ほぼ全員が初顔合わせのメンバーで、曲名とコードだけ告げて一発録りに挑む。フレーズの応酬、広がっていくイメージ…。スタジオの片隅に座らせてもらった私は、その濃密さに感動していた。

 1曲終えると「テイク2」だ。素人の耳にも分かるぐらい同調性が高まって、ぐんと完成度が増す。ノリは小気味よく、メリハリもくっきり。お互いをあっという間に理解し合えるからこその妙技だった。

 そして、なにより驚いたのは、できあがったCDアルバム『Just be you』に全曲、ぶっつけ本番の「テイク1」が使われたことだった。初対面の感覚のほうが、絶対に面白いということだろう。音楽の奥深さを教えてもらった。私が撮った写真をジャケットに使ってもらえたのは光栄至極だった。

 11日に大阪市内で営まれた葬儀・告別式には、約300人が列席した。出棺ではトロンボーンの宗清洋さんらが「聖者の行進」を生演奏。ジャズメンらしく、手拍子で送られた。

 東京と大阪を往復する新幹線でずっと、奥田さんが残した2枚のCDを聞いていた。音程ではなく、息づかいを追ってしまう。人柄通りにやさしく語りかけるような。管楽器の音って「声」なのかも。またひとつ、音楽の聴き方を教わった気がして、こわばった心が少しだけゆるんだ。(篠原知存)

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□指揮者ネゼセガン、ロッテルダム・フィルと公演
 伝統を誇る世界各地の楽団に、新しい風を吹き込んで回っている若手指揮者ヤニック・ネゼセガンが、音楽監督を務めるロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団と全国ツアー中だ。「幾多の名指揮者たちがつくりあげてきた楽団の個性を見据え、伝統の響きを更新してゆくことが、37歳という若さでこうしていろんな場所を与えてもらっている自分の使命」と語る。

 同楽団の拠点であるオランダのロッテルダムは、漁師たちの集う港町だ。「腕まくりをした海の男を思わせる、力強い音が魅力。僕の課題は、その響きに洗練と優しさを加えること」

 カナダ出身。メトロポリタン歌劇場の「カルメン」やザルツブルク音楽祭の「ドン・ジョバンニ」などで、古典の核心へと恐れず突進。音楽を大きく動かす力を世界に知らしめた。

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■楽団への2億円支援見送り 大阪の信用組合「多すぎた」
 大阪府の補助金カットで資金不足に悩む日本センチュリー交響楽団(大阪府豊中市)に、近畿産業信用組合(大阪市)が2億円の支援をすると表明した件で、同信組が資金支援を見送っていたことが分かった。同信組は「2億円は大きすぎた」として、別の形で支援すると説明している。

 府の出資で設立された同楽団は、橋下徹・前府知事が年約4億円の補助金を廃止して資金不足に陥った。そこで、同信組の青木定雄会長が2012年4月の会見で「文化を守るため、継続してやっていく」と支援の意向を明らかにした。

 同信組によると、その後「額が突出しすぎだ」「息の長い支援を」などの意見が内部で相次ぎ、組合員への寄付呼びかけやチケット購入などに切り替えて支援することにしたという。

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あ【話の肖像画】冬の女王20年(中)シンガー・ソングライター 広瀬香美
 ■詞の世界は等身大の私

 −−大学卒業後は?

 広瀬 作曲家になることを目指してロサンゼルスにとどまりました。レコーディングのアシスタントをしたりしながら。レコーディングのための運転手や通訳もしました。

 −−歌手になりたいとは考えていましたか?

 広瀬 デビューするまで、歌手になるつもりはまったくありませんでした。ただ、自分の曲を聴いてもらいたいので、自分で歌を録音してデモテープを作りました。それを、知り合ったレコード会社の人に配っていました。そんなことを2年続けたとき、「アルバムを1枚作りませんか」という話があって。それでデビューアルバムを制作できました。

 −−念願の作品ですね

 広瀬 うれしくて、うれしくて。毎日レコード会社に行っては、見本盤が並んでいる棚から自分のアルバムを取って持ち帰っていました。家には80枚くらいため込んで、音楽関係者に配りまくっていました。

 −−シングルは?

 広瀬 すぐにお話がありました。曲は映画のタイアップ曲になり、ヒットしました。それが「愛があれば大丈夫」です。

 −−多忙な毎日の始まりですね

 広瀬 デビューしてからしばらくの間のことは全然覚えていないんです。忙しすぎました。そのころはコンサート活動はしていなかったのですが、テレビに出演して、曲を書いて。デビューしてから作詞の勉強を始めました。なかなかできなくて、泣きながら詞を考えていました。アイドル歌手が「忙しくて休みもありません」なんて言っているのを聞いて、「本当かな」って思っていましたが、本当なんだなって妙に納得しました。

 −−生活が一変しました

 広瀬 歌手としての名前が独り歩きしてしまって。本当は作曲家として努力してきたのに、曲はそれほど評価されず、偶然始めた歌で評価されたということで葛藤がありました。でも、作曲家として評価されるよう努力してゆこうと我慢していました。

 −−詞を書くのは慣れましたか?

 広瀬 環境だと思います。「月内に3曲」といった締め切りがあると、作らなければならない状態に追い込まれて、できるようになるんですね。だんだん楽しんでできるようになりました。

 −−詞のヒントはどのへんに?

 広瀬 基本的には詞の世界は等身大の私なんです。それから、音楽学校で教えていて、生徒たちの相談を聞くことがあります。そんな中に歌詞のヒントがあったりしますね。

 −−どうして音楽学校を始めたのですか

 広瀬 ほかのアーティストに楽曲を提供するうちに、ボイストレーニングを頼まれることが増えてきました。トレーニングをすると、「高音をもっと伸ばしたい」と考えている人や「すぐに声がかれるのがいや」と悩んでいる人が少なくないことに気づきました。それならばと、今まで学んだメソッドを教材にまとめ、本格的に教えてあげようと思いました。

 −−一層忙しくなりますね

 広瀬 悩みが解消されるのを手伝うのは大きな喜びです。それに、歌うとどんな人でも元気になります。それを体感してもらえるというのは楽しい仕事です。もちろん最初は大変だったのですが、今は私が直接指導した講師が増えたので、私の教える負担はそれほどありません。(櫛田寿宏)

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ア【話の肖像画】冬の女王20年(下)シンガー・ソングライター 広瀬香美
 ■歌えた「成熟した女性の気持ち」

 −−スキー用品専門店のCMでおなじみですが、スキーはお上手なんですか?

 広瀬 スキーはやらないんです。いつも今シーズンこそはって思うんですが、冬はコンサートなどで忙しくて。それに冬の間は風邪をひいたり、ましてけがをしたりすると大勢の人に迷惑をかけてしまうので、始められないまま今日まで来てしまいました。

 −−以前はあまりコンサートは好きではなかったそうですね

 広瀬 ええ。自分自身が歌手だという意識があまりなかったので。デビュー10周年の年に初めてライブを行いました。緊張して緊張して、楽しめませんでしたね。10年間、歌ってこなかったのですから。

 −−お客さんはどう見えましたか

 広瀬 全員が審査員に見えました。CDで歌っているように実際に歌えるのか、すべての観客が疑っているのではないかと思っていました。ですから胃も痛くなるし。会場は何となく盛り上がっているようなのですが、歌っているこちらはもう、いっぱいいっぱいでした。

 −−とらえ方が変わったのは?

 広瀬 全国ツアーのあとに、ホールに観客を入れてテレビの収録を行ったときです。お客さんの喜ぶ波動が感じられたんです。お客さんは審査員ではないと分かりました。歌うことって悪いことじゃないな、もっと誠実に取り組もうかな。そんな気持ちになりました。今は、皆さん楽しみにして来てくださるんだなって思っていますよ。

 −−これからはどんな活動を?

 広瀬 今までとそんなにスタンスは変えません。ただ、コンサートの回数は増やしていきたいな。長く愛される歌い手でありたいですね。

 −−サックスのデヴィッド・サンボーンらが参加して、20周年を記念するアルバム「And.Love.Again.」を発表しました。

 広瀬 収録している10曲の作詞作曲は3週間で行いました。構想はあったとはいえ、こんな短期間に一度に作ったのは初めてです。20年の進歩といえるでしょうか。アルバムに収められているバラードの「You’re my hero」という曲が気に入っています。私にもこういう成熟した女性の気持ちを歌えるんだと、少し驚いています。大事に歌って、私の代表曲にしたいと思っています。(櫛田寿宏)

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ΒJ道愆者デプリーストさん死去 東京都交響楽団でも指揮
 ジェームズ・デプリーストさん(米指揮者)米メディアによると8日、心臓発作による合併症のため米アリゾナ州スコッツデールの自宅で死去、76歳。

 米フィラデルフィア生まれ。黒人指揮者の草分け的存在。1962年にポリオを患い歩行困難となったが、車いすで指揮を続けた。2005年に米国民芸術勲章を受章、05〜08年に東京都交響楽団の常任指揮者を務めた。人気漫画「のだめカンタービレ」にも実名で登場している。

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Б坂本龍一さんに「日本賞」 米加大バークリー校
 米カリフォルニア大バークリー校日本研究センターは8日、音楽家の坂本龍一さんに、世界が日本への理解を深めることに貢献したとして「バークリー日本賞」を授与した。国際的な音楽活動に加え、反原発など環境保護に対する取り組みを評価した。

 坂本さんは9日、共同通信に「反原発の活動をする日本人は少ないが、実際には多くの人が反対している。(私たちが)運動を続けることで、みんなの思いや勇気を維持することができると思う」と話した。

 坂本さんは8日、同校での授賞式に出席。音楽の授業をしたほか、9日には環境保護をめぐるシンポジウムに参加し、コンサートも開いた。

 バークリー日本賞は2008年から始まり、作家の村上春樹さんやアニメ映画監督の宮崎駿さんが受賞している。(共同)

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│eの音色、沼津へ 16日に流木バイオリン演奏会
 東日本大震災の発生から間もなく2年。津波で流され、被災地の海岸に流れ着いた住宅の木材を使って製作したバイオリンを演奏するコンサートが16日、沼津市で開かれる。国内外の1000人の奏者がこのバイオリンを演奏する復興支援プロジェクト「千の音色でつなぐ絆」の一環。バイオリン製作者で発起人のひとり、中沢宗幸さん(72)(東京都渋谷区)は「多くの演奏者が弾き続けることで、人と人の絆の象徴になれば」と話している。

 中沢さんは、名器ストラディバリウスだけでも50丁以上の修復を手掛けたというバイオリン製作・修復の第一人者。2011年12月に岩手県陸前高田市を訪ね、「流木には被災者の命と思い出が刻まれている。がれきとして処分される木々を生まれ変わらせ、震災の記憶を受け継いでいきたい」との思いから、バイオリン製作を考えたという。地元の製材業者の協力で、海岸に流れ着いた住宅の柱や梁(はり)などを集め、3丁を製作した。

「奇跡の一本松」描く 表板には軟らかく、音が共鳴しやすいマツ、裏板には硬く、振動をはね返して音が響きやすいブナなどと、使い分けた。裏板には、津波に耐え、復興の象徴として知られる陸前高田市の「奇跡の一本松」を、友人の画家が描いた。

 バイオリンは、震災1年後の12年3月11日、陸前高田市で行われた合同追悼式で初めて演奏された。震災から間もなく2年を迎えようとしているが、中沢さんらの「千の音色でつなぐ絆」プロジェクトで、このバイオリンを演奏した奏者は約130人に上っている。

 16日に沼津市若山牧水記念館(千本郷林)で開催されるコンサートでは、バイオリニストの山内達哉さんがクラシックや民謡などを、ピアノやチェロなどと演奏する。収益金の一部は今後、被災者向けのコンサート開催のために使われる。午後6時半開演。大人4000円、大学生まで2500円。問い合わせは、市若山牧水記念館(055・962・0424)。
(2013年2月11日 読売新聞)

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■米指揮者のJ・デプリースト氏死去
 米メディアによると、米指揮者のジェームズ・デプリースト氏が8日、アリゾナ州スコッツデールの自宅で死去した。76歳。昨年3月に心臓発作を起こした後、入退院を繰り返していた。

 フィラデルフィア生まれ。ペンシルベニア大などで音楽を学び指揮者に。62年にポリオ(小児まひ)を患って歩行が困難になった後も指揮者を続けた。

 80年、当時は無名だったオレゴン交響楽団の音楽監督に就任。03年の退任までに全米有数のオーケストラに育て、05年に米国の芸術分野で最も名誉がある「国民芸術勲章」を受章。05〜08年に東京都交響楽団の常任指揮者を務めた。日本の人気漫画「のだめカンタービレ」にも実名で登場している。ニューヨークのジュリアード音楽院指揮科の名誉監督。(共同)

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■【私のおしゃれ学】バイオリニスト 奥村愛さん 音楽はいつも美しく、希望に満ちている
 のびやかな響きが、あふれんばかりの詩情を運んでくる。しなやかな歌ごころは、精妙なニュアンスをたっぷりと含んだ語り口で、大いなる物語をつづっていく。端正に音を紡ぐ奥村愛さんのバイオリンは、作曲家が掌中の玉とあたため、ひそやかに音符の連なりの奥底に織り込んだ世界をたおやかな手元にすくい取って鮮やかだ。

 「誰の耳にも親しみやすい小品を取り上げる機会も多いのですが、作品そのものが持つすばらしい世界をどのように表現し、作曲家の思いをどこまで伝えることができるのかと自分自身に問いかけています。これまで名だたる演奏家が、それぞれの手元からさまざまな光を当てて作品の魅力を映し出していますが、音楽のあるべき姿を探りながら私自身を研(みが)き、そこに私らしさを添えることができればと願っています」

 こよなく音楽を愛する家庭に生まれ、世界最高峰のオーケストラの一つ、アムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でバイオリン奏者を務めた父の背を見て、4歳から楽器を手にした。中学生時代には全国コンクールで優勝するなど早くから才能を発揮し、2002年にCDデビューすると、まっすぐに胸にしみこむ清廉な調べで、クラシック音楽の新人として異例の大成功を収めた。

 「いつからバイオリンを始めたのか、はっきり覚えていません。気がつけば楽器を手にしていました。音楽が好きとか嫌いとかといった特別な感覚もなく、音楽と向きあってきた時間が長かったように思います。それでもCDデビューから10年が過ぎ、演奏を重ねるうちに、私は音楽を愛しているのだと心の底から実感できるようになりました。一つ一つの演奏会を心から大切にして、音楽の喜びを一人でも多くの方と分かち合い、私自身の音楽を少しでも深く、大きなものにすることができれば」

 りんとしたたたずまいの演奏は、音楽を奏でることの矜持(きょうじ)を示して感動的だ。昨年はプロコフィエフのバイオリン・ソナタ第2番など重厚な作品を盛り込みながらデビュー10周年のリサイタルを全国で展開したが、簡潔で明快な作品解説や日々の思いを織り込んだ優しく楽しいトークにも、真摯(しんし)に音楽に向きあう姿勢がにじみ出る。学校や施設を訪れての公演にも積極的で、音楽の愉悦で会場をいっぱいにするコンサートを重ね、奏でる音楽はさらに豊かなものへとなっていく。

 「先月(1月)、広島県の大崎上島に招かれ、ホールだけでなく町の福祉施設や小学校でも演奏する機会をいただきました。人口8000ほど、山田洋次監督の新作映画『東京家族』の舞台にもなっている瀬戸内海に浮かぶ美しい島にフェリーで渡りましたが、誰もが家族のようにふれあい、一つになって音楽会をつくってくださる姿に感動しました。一生懸命に耳を傾けてくれる子供たちの瞳の輝きは、かけがえのないお土産となり、バイオリンを手にする喜びと使命を改めて強く感じさせられました」

 大きな収穫を得て帰京したわずか6日後、東京・銀座のヤマハホールでプログラムの全曲がすべてステージで初披露となるリサイタルを開催した。バイオリニストにとって極めて重要な作品であるベートーベンの「クロイツェル・ソナタ」に初挑戦し、峻厳(しゅんげん)とした精神世界を示すバッハの無伴奏バイオリン・ソナタ第1番とともに、丹念に彫琢(ちょうたく)が施された折り目正しい美しい演奏で新境地を示した。

 「ベートーベンの作品はいつか演奏をしたいと、常にあこがれの気持ちを抱いてきました。一昨年にバイオリン協奏曲を演奏させていただき、その世界への挑戦が始まったばかりですが、一点の揺るぎもない構成美と天上の世界を写したような旋律美に圧倒されます。バッハも同様で、あこがれが強くなるほどに求められるものが大きくなり、理想へと至る道の長さと険しさに驚かされますが、音楽はいつも美しく、明日への希望に満ちています。勇気を奮いながらじっくりと時間をかけて取り組みたいと願っています」

 (文:谷口康雄/撮影:フォトグラファー 大石一男/SANKEI EXPRESS)

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 ■おくむら・あい アムステルダム生まれ。桐朋学園大ソリスト・ディプロマコースに学び、2002年に小品集「愛のあいさつ」でCDデビューして大きな注目を集める。プラハ・フィルハーモニー管弦楽団はじめ内外の主要オーケストラと共演して精力的な活動を展開し、親しみやすいプログラムにトークを交えたコンサートは幅広い支持を得ている。衛星放送のフジテレビONE、NEXTで放送中のオーディオ専門番組「Stereo_ONE!」の進行役としても活躍する。

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 【ガイド】

 ■ランチタイム・コンサート「愛のヴァイオリン」 2月19日(火)11:30〜いずみホール(大阪市)。いずみホール(電)06・6944・1188

 ■親子で楽しめるヴァイオリンコンサート 3月2日(土)14:00〜千葉市民会館(千葉市)。千葉市民会館(電)043・224・2431

 ■奥村愛カルテット 3月9日(土)14:00〜北野文芸座(長野市)。北野文芸座(電)026・233・3111。

 ■ハッピー・タンゴ・アワー 3月30日(土)17:00〜八ケ岳高原音楽堂(山梨県)八ケ岳高原ロッジ池袋情報サロン。(電)03・5979・8480

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スタイリスト:三原千春

ヘアメーク :久保田淳

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奥村愛さんオフィシャルサイト aiokumura.jp

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